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 旧熊谷陸軍飛行学校  /2015年06月28日(日)
熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場跡に行ってきました。


数日前、埼玉県久喜市の菖蒲総合支所で開催されていた"あやめ・ラベンダーのブルーフェスティバル"(blog)の帰り道に寄ったのですが、一般公開は土・日・祝日(10:00~16:00)のみとのことで、日を改めリベンジ訪問。


こちらは旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場で、全国で唯一現存する木造建築。


ザックリですがアプローチ通路(正門までの通路)より現存する門柱左に弾薬庫、守衛所棟、右に車庫棟、正面に見える本部兵舎棟、その後方にある渡り廊下右側に防火水槽、その先右側に便所・物置棟が配置。

便所の小便器はなくて隣との境もない、コンクリート壁に向かって用を足す、子供の頃、こんな便所あったよな~ 


大便器は殆どが扉が開かないように釘が打たれて閉ざされてましたが、1つだけ中が見られました。

数年前まで、ここに居住者がいたらしく、それでトイレットペーパーホルダーが変えられていたのでしょうか、和式便座はYAMAKU・SEITOと読めるので現在岐阜にある窯元メーカーの山九なのか?


昔の和式便所はくみ取り式が多く、扉もこのようなもの、何となく懐かしい感じもしました。

建物は70年以上経過しているため、場所によっては屋根が抜け落ちてしまったり柱が傾くなど傷みは激しいですが、当時のまま残されているので、どのような環境下で訓練や生活していたかがひしひしと感じとれますね。


ここでは、戦争末期特攻隊の訓練基地として使われ、1945年(昭和20年)4月には12人の特攻隊員が沖縄に向けて出発、その当時飛行機の整備員として働いていた柳井正徳(89)さん当人がいらっしゃいまして、当時の話しを昨日の出来事のように聞かせて頂きました。

この方、兵舎棟の入口で展示写真を見ていたら、どこからともなく現れたのですが最初、誰なのか存じておりませんでした。

高齢でありながらハッキリとした口調、優しさの中に厳しい現実を知る眼差し、時として遠くを見つめる視線、色々な出来事が思い浮かばれているのでしょう。


当時を知る"語り部"として活動され、見学者があれば気さくにお話しをして下さるのだそうです。


元整備員ということで、通称"赤とんぼ"といわれる95式練習機の構造やエンジンなどのお話をお聞きしました。

最初は立ち話だったんですが、まあ座りましょう~ と椅子を並べて下さり、やはり元整備員だった天沼さんの弟さんもご一緒して当時の話を。

特攻隊員というと=零戦を思い浮かべてしまうのだが、それは海軍機であり陸軍機ではないのだ、そんなことも知らなかった!
自称パイロットとして恥ずかしい限り・・・(ラジコン飛行機でのパイロット)


ボディー・主翼等の外板はアルミ等ではなく布製なことで軽く仕上がり浮きが良く、前輪は引脚(主翼に収納する)ではなく固定脚だが両側にしなるので逃げがあり、前輪・尾輪ともベアリング仕様ではなく軸に溝が切ってありグリスが入っていた と話してたかな?

隊員の体罰は半端なものでなく理不尽なことで尻バットの話しなど おまけ話も~

資料室には赤とんぼのエンジンマウント、胴体後部のフレーム・前輪らしきものは、赤とんぼ のものなのか未確認。

寄贈された品々また特攻隊員の遺書、死亡告知書など戦争に関する展示がありましたが、この空間でいきなり読むにはあまりにも重みがあり過ぎ、可哀想で素直に目を通すことができませんでした。


荒川の対岸にある滑走路(現在のホンダ航空所有の滑走路)までは太郎右衛門橋の横に今はない旧太郎右衛門橋の冠水橋を使って渡っていたそうだ。

細い道を荒川側に下ると桶川市総合運動場から子供達の賑やかな声が聞こえるが、それがなければ当時とあまり変わりない風景だったのかも知れない。


熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場跡入口の手前には真新しい一般の一戸建てがあり、敷地内からは運動場からの賑やかな声が聞こえる、しかし、その空間は70年以上変わらぬ姿、今は平和なんだと そのギャップに今と昔の違いに驚かされる。


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2015/06/28(Sun)12:32
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